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䌊藀䜳之 様(犏沢䞀郎蚘念通)の展芧䌚レビュヌ

犏沢䞀郎蚘念通の䌊藀䜳之様が展芧䌚のレビュヌを曞いおくださいたした。本圓に有難うございたした。

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「日独䌊芪善図画・80幎前の児童画を巡っお」ガレリア・ニケ 6/1-6/6, 2018

䌊藀䜳之犏沢䞀郎蚘念通

 孊郚3幎時、留孊先のドむツで偶然に「日独䌊芪善図画」ず出䌚い、以来継続しお調査研究を重ねおきた田䞭盎子さんの䌁画による展芧䌚「日独䌊芪善図画・80幎前の児童画を巡っお」を芳た。䞀幎ほど前、ご本人から研究に぀いおのお話をうかがっお以来、その成果をずおも楜しみにしおいたので、個人的な思い入れがどうしおも倧きくなっおしたうが、それを差し匕いおも、この展芧䌚がいた、日本で開催される意矩は倧きいず考える。そう考えるのは私だけではないようで、展芧䌚オヌプン以前から、さたざたな䜜家や矎術通孊芞員、研究者の耳目を集めおきた。女子矎術倧孊杉䞊校舎のガレリア・ニケで、圚孊䞭の若い研究者の手で、こんなにむンパクトの匷い展芧䌚が開催されるこずは、女子矎術倧孊にずっおも倧きな意味を持぀こずだろう。

 䌚堎の倧きな壁面のひず぀が、100点䜙の「図画」でびっしりず埋められおいる。それらをひず぀ず぀䞹念に芋るだけでも、単玔に面癜い。圓時の生掻がのびやかに掻写されおいるもの、少々倧人びた芖線で颚景を捉えたもの、戊闘の状況を楜しみながら描いたであろうず想像されるもの。それらの䞭に、異なる様匏が混圚するものや、あたりに技巧的な手の跡が芋えるものもある。事実、幟぀かの「図画」には倧人が手を加えたのではないかずいう指摘も、矎術教育の専門家からあったそうで、そうしたものを「児童画」ず呌んでいいのかは刀断の難しいずころだ。しかし、そうした成立の背景ずは別に、展瀺された「図画」そのものはどれも、芋る者に䜕かしらを蚎える匷い力を持っおいるず、私は思う。これは遞者たる審査員の県の力であり、応募総数400䞇点ずもいわれる「図画」たちの遞りすぐりであるこずを劂実に瀺しおいる。

 そしお、これらが「芪善図画」ずいう圹割を䞎えられ、囜内で展芧䌚が開催され、玄15䞇点ず぀ドむツずむタリアに枡ったずいう。そのうち玄400点の珟存が確認されおいるわけだが、なぜこれらの「図画」が海倖で残ったのか。それはずりもなおさず、所蔵者たちが「図画」の数々を愛おしいず思い、入手し食っお楜しんだ故である。ではなぜ、所蔵者たちはこれらを愛おしく思ったのか。あるいは、これらはなぜ愛おしいず思われるような「図画」であり埗たのか。

 ひず぀の鍵ずなるのは、䌚堎のパネルで瀺されおいた『日独䌊芪善図画の描き方』ずいうパンフレットの存圚である。このパンフレットには、応募される絵の倚くがヒトラヌやムッ゜リヌニの肖像などに偏っおいる。これではいけない。「よそゆき」でないみなさんの絵が必芁だ、どうぞい぀も描いおいるような絵を送っおください。そんな内容の文章が掲茉されおいる。そしお、ドむツやむタリアからも、そうした「よそゆき」でない絵が倚数寄せられおいたす、ずいうアピヌルたでしおいる。このパンフレットの効力は絶倧であったろうず想像される。なぜならこれは、いわば「受賞マニュアル」ずもいうべき存圚であっお、森氞補菓が䞭心ずなった官民挙げおの䞀倧文化プロゞェクトが持぀暩嚁子䟛に関わるものであっおもを想像すれば、孊校や家庭での指導もこのパンフレットに沿っお行わざるを埗なかっただろう。

 結果、じ぀にバリ゚ヌション豊かな「図画」たちが集たり、石井柏亭や和田䞉造、結城玠明など、日本の近代絵画を牜匕しおきた画家たちの県によっお遞考された。1938昭和13幎圓時の日本の絵画は、セザンヌ以降の西掋近代絵画の倉遷をほが抌さえたうえで成立しおおり、抜象芞術やシュルレアリスムに圱響を受けたいわゆる前衛絵画も頻繁に制䜜・展瀺されるようになっおいた。圌ら審査員たちが日頃団䜓展の展芧䌚堎などで芳おいた絵画䜜品は決しおお定たりの堅苊しいものばかりでなく、児童画の遞考ずいう前提を差し匕いおも、圌らが倚圩で自由な絵画衚珟を受け容れ評䟡する玠地は出来おいただろうず想像される。それが結果ずしお、ドむツやむタリアの所蔵者たちに「図画」の䞭に芪しみや愛おしさ、たたは西掋近代の絵画ずの近䌌すら感じさせ、自らの生掻に加えるべきものず思わせた芁因のひず぀ではないか。私などはそんな劄想を楜しんでみる。

 ではなぜ、䞻催者の森氞補菓は、わざわざこんなパンフレットたで䜜成しお「よそゆき」でない「図画」を集めようずしたのか。この文化プロゞェクトを囜策に沿うものにするならば、ヒトラヌやムッ゜リヌニの肖像が倚く応募されおも構わないかもしれないし、もっず具䜓的に日独䌊の協調をテヌマずした䜜品づくりを呌びかけおもよいはずである。だがそうはならなかった。䜜品が集たり始めた早い段階で、䜕らかの力が働いた結果のパンフレット䜜成ず思われるが、その力ずは䜕凊から加わったのか。䞻催者か、審査員か、それずも文郚省か。あるいはその耇合䜓なのか。そしおその力の出所は、なぜこのような刀断を䞋したのか。この点非垞に興味深い。なぜなら、繰り返しになるが、このパンフレットが䜜成され「芪善図画」の意図が広たらなければ、こうした「図画」は描かれなかったし、珟圚の所蔵者や旧蔵者に、それらを愛おしいず思わせるこずもなかったかもしれない。぀たりこれらの「図画」がさたざたな人に力を䞎える存圚になり埗お、今ここに存圚するのは、森氞のパンフレット䜜成・配垃による意図の浞透があったからこそ、ずもいえるのではないか。

 さらにいえば、パンフレット『日独䌊芪善図画の描き方』で玹介されおいる、ドむツややむタリアの子䟛たちの「よそゆき」でない「図画」たちは、珟圚確認できる「日独䌊芪善図画」に関わる図版の䞭にはみられないようだ。展芧䌚䌁画者の田䞭さんいわく、珟存する図版を芋る限り、ドむツの「図画」は、パレヌドをしたり行進をしたりず、集団行動をずる矀衆を描いたものが倚く、むタリアの「図画」には日独䌊の協調をアピヌルするねらいが匷く珟れおいるものが倚いずいう。たた、珟存が確認されおいるドむツやむタリアの䜜䟋も極端に少ない。この差はなぜ生たれたのか。このあたりも倧倉興味深い。

 こうした疑問や課題は、6月2日土のトヌクむベントでも幟぀か觊れられおいた。䌁画者の研究を継続しお指導なさっおいるアヌツ前橋通長の䜏友文圊さんが進行圹を぀ずめ、コンパクトな問題点の指摘、そしお愛情あふれるコメントが印象的だった。たた、䌁画者の貎重な研究発衚に続いお、垝京倧孊教育孊郚教授の蟻政博さんによる「児童画」の歎史的倉遷に぀いおの発衚もあり、䌁画者の発衚に骚栌を䞎えるような刀りやすい蟻さんのお話に、来通者はおおいに興味をそそられたようだ。あっずいう間の2時間だったが、展瀺ず研究発衚を補匷し立䜓化する倧倉意矩深いトヌクずなった。

 展瀺党䜓に぀いお感想を述べるならば、借甚した354点の「図画」たちの1/3ほどしか展瀺できなかったこずは、やはりもったいないず、率盎に思う。䌚堎や費甚、そしお時間の制玄が倧きかったこずはいうたでもないが、それにしおも...ず諊めの悪いこずを口にしおしたうのは、私の生来の意地汚さによるものだろう。圓然、䌁画者も倚くの「図画」を展瀺から倖すずいう遞択を迫られたわけで、内心忞怩たる思いがあるはずだ。䜏友さんもトヌクの䞭でその点に぀いお話をなさっおいたが、この思いが必ずや、倧きな糧になるに違いない。

 䌚堎内に倧きく投圱されおいた所蔵者や関係者ぞのむンタビュヌ映像は、ずおも匷く印象に残った。語り手ずその呚囲を芋぀める䌁画者の芖線は、淡々ずしおいお食り気がない。それは背䌞びせずに自分らしく語り手ず盞察しおいるこずの裏付けでもある。「図画」に察する所蔵者・関係者の思いが静かに滲んでくる。そんな映像だった。特に、今回䜜品を貞しおくださった゚ノァさんの「図画の魅力は絵を描いた子䟛たちの運呜が描かれおいるこずね」ずいうような蚀葉は深く染み入った。その運呜ずはもちろん、無邪気で可胜性に溢れた圓時の子䟛たちの圚り様でもあり、同時にその埌の戊争をも想起させる。映像を芳た埌で「図画」たちず改めお察峙するず、たた少し違った印象が生たれおくるのも面癜い。

 その他、圫刻家の速氎史朗さんから借甚したご本人の受賞「図画」ず蚘念のメダむペン建畠倧倢䜜や賞状の展瀺は、珟存するアヌティストず「図画」がリアルに関わっおいるこずの蚌明であり、今改めお「図画」に向き合うこずの意味を我々に぀き぀ける。これもたた䌁画者の粘り匷い調査・研究の倧きな成果ずいえる。映像資料や解説パネルでの研究玹介も芋やすく、たた読みやすく簡朔で、情報提䟛ずしおは申し分ないものず思われた。

 以䞊、展芧䌚「日独䌊芪善図画」に぀いお述べおきたが、私の拙い語りではこの展芧䌚が少々暑苊しいもののように感じられるかもしれない。しかし展芧䌚堎を吹き抜けるのは、意倖にも涌やかな、透き通った空気である。食らない、背䌞びしすぎない、淡々ず事実の玹介に努める、そんな䌁画者の真摯な姿勢が、䌚堎構成や䜜品資料の配眮などの现かなずころにあらわれおいるのかも知れない。もちろん、日沌先生をはじめAP研究宀の皆さんや、関係者の方々のご指導ず力添えがあっおこその展芧䌚だろう。本展芧䌚に関わった党おの皆さんに敬意を衚したい。

 そしお䜕より、困難だらけの䌁画を力技で抌し切った、䌁画者の田䞭盎子さんに改めお感謝したい。展芧䌚をずおしお田䞭さんが我々に瀺したさたざたな課題は、䞍穏な空気に包たれおいるいたの日本においお、我々が俎䞊に茉せ議論すべき、重芁なものばかりである。今埌語り手の道暙ずなるであろう、研究ず展芧䌚の掻字化が埅たれる。


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